1914 年秋、レーニンはヘーゲルの著作を本格的に読み込み始めた。彼が残したノートには、レーニンが熟知していた弁証法的方法について、鋭い洞察が数多く記されている。本稿では、ハミド・アリザデがこの方法の核心を明らかにし、共産主義運動にとって理論がいかに根本的に重要であるかを論じる。
1914 年夏、ヨーロッパで戦争が勃発し、世界史の流れは一夜にして変わった。社会民主主義の指導者たちの裏切りに後押しされ、ヨーロッパのブルジョアジーは人類を凄惨な殺戮の渦へと引きずり込んだ。何千万もの労働者や農民が、戦場へと送り込まれた。
指導部の裏切りによって、国際労働者運動の主要組織であった第二インターナショナルは分裂した。各地で反動勢力が醜い姿を現すなか、世界のプロレタリアートは無防備な状態に置かれた。一方、革命的マルクス主義の勢力はヨーロッパ各地に散らばり、明確な綱領も指導者も持たない、小さな勢力にまで縮小していた。
開戦時、レーニンはポーランドに滞在しており、急きょスイスへ移らなければならなかった。インターナショナルの指導者たちが裏切るとは予想しておらず、ドイツ社会民主党が帝国議会で戦費支出案に賛成票を投じたとの報に接した当初は、衝撃を受けた。インターナショナルは崩壊し、ロシアの階級闘争は戦争の影響で後退していた。レーニンは、ごく少数の同志を除けば孤立していた。
ところが、まさにこの時、差し迫った組織的・政治的課題がかつてないほど重くのしかかっていたこの時に、レーニンはヘーゲル哲学の徹底的な研究に没頭した。危機のさなかに、なぜ抽象的な理論問題に取り組む必要があるのか、と疑問に思う人もいるだろう。機械的な思考にとらわれた人には、奇妙どころか滑稽にさえ映るかもしれない。党の「当面の必要」はどうなるのか。こうした状況で優先すべきなのは、目の前の実務に集中することではないのか。
こうした反応は、レーニンを俗物的な「行動の人」、哲学的思索などという些事には関わらない冷徹な「陰謀家」として描く、粗雑なブルジョア的イメージにはよく合致するだろう。ちなみに、これはスターリン主義が作り上げたレーニン像とも、それほどかけ離れてはいない。
しかし、そのような見方は、レーニン自身の方法論とも、マルクス主義一般の方法論とも大きくかけ離れている。レーニンを第二インターナショナルの他の指導者たちから際立たせていたのは、何よりもその明晰さと一貫した階級的立場だった。そして、その資質を支えていたのが、ほかならぬ理論的洞察である。
1914 年、戦争は巨大な竜巻のように世界情勢を襲い、行く手にあった確固たるものをことごとくなぎ倒した。各国は激しい動揺に見舞われ、あらゆる政治潮流が試練にさらされた。わずかな弱点も容赦なく露呈したのである。このような状況では、その場の印象に頼った即興的な対応では何も成し遂げられなかった。
マルクス主義者たちは戦争を予見していた。とはいえ、現実に生じたのは新たな情勢であり、党には巧みな方針転換が求められた。そうした背景のもと、レーニンは自然と社会の法則への理解を深めるため、あらためて哲学研究に取り組んだのである。
この時期に書かれた哲学ノート、とりわけヘーゲル『論理学』についてのメモは、思想の宝庫であるだけではない。理論に向き合うレーニンの姿勢と方法を知るうえでも、きわめて示唆に富んでいる。
レーニンの研究方法
レーニンは、ヘーゲルにも哲学一般にも、決して不案内ではなかった。マルクスとエンゲルスの哲学的著作を熱心に研究していたうえ、ロシアにおける初期のマルクス主義革命家の中核を築くうえで重要な役割を果たしたプレハーノフの哲学書にも取り組んでいた。
また、1905 年革命後には哲学研究に本腰を入れ、ボリシェヴィキの指導者ボグダーノフの修正主義的見解を批判して『唯物論と経験批判論』を著した。ボグダーノフは、反動的なブルジョア哲学に傾いていた。
このように、哲学ノートからも明らかなとおり、レーニンは 1914 年以前からすでに弁証法を自在に使いこなしていた。それでも、自らの政治的・理論的水準に満足し、安住している様子はまったく見られない。生涯を通じて、真の達人にふさわしく、学生のような謙虚さと勤勉さをもって理論に向き合い続けた。
レーニンはヘーゲルの『論理学』を順を追って読み、詳細なノートを取りながら、そこに示された一つひとつの概念を吟味した。それは決して容易な作業ではなかった。本人の言葉を借りれば、この著作の一部は「頭痛を起こすにはうってつけ」だったという1。しかし、価値あるものを得るには労苦が伴う。最も先進的な思想を身につけるには、相応の努力が必要なのである。
ノートからは、レーニンが解剖学者のようにヘーゲルの著作を細部まで分析・検討し、そのうえで各部分を組み合わせ、思想全体を捉えようとしていたことがわかる。彼はヘーゲルの方法を習得しただけでなく、それを批判的に吟味し、生きた核心と死んだ殻とを見分けた。レーニンの学び方そのものが、弁証法の模範的な実践だったのである。トロツキーは論文「レーニンはいかにしてマルクスを研究したか」で、この姿勢を次のように要約している。
「単なる機械的な反復にとどまらない研究には、創造的な努力も必要となる。ただし、それは通常とは逆向きの創造的努力である。他人の著作を要約するとは、論証や例証、脱線を取り除き、その論理の骨組みを明らかにすることだ。ウラジーミルは喜びと熱意をもって、この困難な道を進んだ。読み、考え、論理構造や弁証法的な移行、用語を確かめながら、各章、ときにはわずか一ページを要約していった。その成果を自分のものとし、方法そのものを身につけた。まるで自分自身が一から組み立て直すかのように、他人の体系を一段ずつ登っていったのである。そのすべてが、力強い頭蓋の下に収まる、この驚くほど秩序だった頭脳に深く刻み込まれた。」2
レーニンの哲学ノートは、世界への理解を広げる新たな思想や視点を絶えず追い求めた、その不屈の精神を物語っている。組織上の問題には最大限の柔軟さをもって対処する一方、理論的な明晰さを決して譲らなかった。この姿勢こそが、彼を傑出した指導者たらしめ、ボリシェヴィキ党を当時ただ一つの一貫した革命的潮流たらしめたのである。
哲学は必要なのか?
「革命的理論がなければ、革命運動もありえない。機会主義を流行のように説く風潮が、実践活動のきわめて狭い形への偏重と結びついている今日、この命題はいくら強調してもしすぎることはない。」3
多くの共産主義者は、レーニンのこの有名な言葉を、少なくとも冒頭の一文は暗記しており、機会があれば引用する。しかし、その言葉の意味を本当に理解しているのだろうか。聞き慣れた言葉には落とし穴がある。よく知っているという感覚が誤った確信を生み、物事の深いところまで理解する妨げになることがある。
ここに、マルクス主義と、今日のブルジョア哲学を特徴づける経験主義との違いがある。マルクス主義者にとって、目の前の出来事は一瞬を切り取った断片にすぎず、ある現象の一部分、あるいは一側面でしかない。それを具体的な全体のなかに位置づけ、展開を追い、その全体像を理解しなければならない。これに対し経験論者にとっては、目の前にあるものがすべてであり、それ以外のことは七つの封印で閉ざされた書物も同然である。

改革主義者たちはブルジョア哲学を無批判に受け入れ、その主人たちと同じように、いわゆる「既成事実」に頭を垂れ、ひれ伏す。ここに機会主義の哲学的な本質がある。
第一次世界大戦に対する改革主義者たちの姿勢は、その典型例である。ヨーロッパ各国の支配階級は、それぞれ自国の狭い国益の立場から戦争に臨み、「祖国防衛」や「民族自決権」といった高尚な抽象論を持ち出して、自らの立場を正当化した。
フランツ・フェルディナント大公の暗殺を受け、各国の支配者たちは次々と参戦し、敵対行為を始めたのは相手の方だと互いに非難した。ブルジョアジーにとって、第一次世界大戦とは、結局のところ、各国の支配者が下した一連の決定の積み重ねにすぎない。たしかに表面上はそのとおりの出来事が起きた。しかし、問題は表面に見える経過だけではない。
当時の社会民主党も、左派的な言い回しを使いながら、同じような主張を展開していた。オーストリア社会民主党は、ウィーンの開戦派が唱える反ロシア・反セルビアの主張に同調した。プレハーノフをはじめとするロシア社会民主主義の機会主義者たちは、反動的なドイツ帝国主義の脅威を強調し、抑圧されたセルビアを救援する必要があると説いた。一方、ドイツ社会民主党は、反動的なロシア帝国主義を阻止する必要があるなどとして、戦費支出案に賛成票を投じた。
彼らは皆、自国の資本家階級の立場からしか戦争を見ていなかった。その立場に立って「祖国防衛」を叫び、何百万もの労働者を死地へ送ることに、ためらいなく賛成したのである。
これに対してレーニンは、戦争を、それ以前の資本主義の発展全体が生み出した結果として説明した。巨大な産業独占体の台頭と金融資本の支配は、資本主義史の新たな段階を画した。資本を絶えず輸出しなければならない先進帝国主義諸国は、投資先や市場、勢力圏を求め、世界の分割と再分割をめぐる激しい争奪戦へと突き進んでいた。
こうした状況のもとでレーニンは、「祖国防衛」とは、各国の支配階級の狭い利害を守るための口実にすぎないと説明した。つまり、プロレタリアートや貧しい労働者大衆を搾取し、抑圧する者たちの利益を守るための口実なのである。
ここには、支配階級の支配的な思想を盲目的に受け入れることと、意識的に革命的な哲学的立場をとることとの違いが、実践を通じて示されている。
資本主義の興隆期、ブルジョア哲学は封建制と、その思想的な擁護者であるカトリック教会に対抗する強力な武器となった。科学と理性を掲げ、封建社会の偽善と非合理性を暴いたのである。
しかし、資本家階級が歴史的な行き詰まりに直面すると、その哲学も性格を変え、全面的に保守化した。かつて自らが闘った教会の教義と同じように、今日のブルジョア的な教説も現状維持を擁護している。
かつて教会の教義は、信仰と聖書こそが真理への道だと説いた。これに対し今日の大学や学界、さらには雇われ評論家たちは、自然や社会には合理的な法則など存在しないかのように説き、目の前の主観的経験、もちろん彼ら自身の主観的経験を、存在するすべてであるかのように扱っている。
かつて聖職者たちは、王を頂点に、その下に封建領主が続き、最下層に被支配階級が置かれるという「神聖な秩序」を説いた。今日、資本の大祭司たちは、市場、私有財産、国民国家、そしてそれらに付随する反動的な道徳観念の数々を含む資本主義の不可侵性を、人類の不変の本質であるかのように説いている。
ブルジョア哲学は、必然的にかつての姿とは正反対のものへと変質した。既成宗教やメディア、学校などを通じて現在広められている思想の目的は、真理を明らかにすることではなく、隠蔽することにある。
だからこそ、真理は労働者階級にとって最も重要な武器となる。それ以前のあらゆる革命的階級と同様、プロレタリアートもまた、資本主義の仕組みと、それをどのように廃止できるのかを理解しようとするなら、意識的な革命的哲学を身につけなければならない。
抽象的思考
レーニンはヘーゲルにならい、「真理は具体的である」と繰り返し述べた4。マルクス主義が何よりもまず追究するのは真理である。しかし、だからといって抽象的思考そのものが真理から遠ざかるわけではない。まったく逆である。
レーニンはヘーゲル『論理学』の摘要に、次のように記している。
「具体的なものから抽象的なものへと進む思考は、それが正しいかぎり(注)……真理から遠ざかるのではなく、むしろ真理に近づく。物質や自然法則の抽象、価値の抽象など、要するに、あらゆる科学的な抽象(正しく、真剣で、荒唐無稽でない抽象)は、自然をより深く、より正確に、より完全に反映する。」5
真の認識とは、事実をただ積み上げることではない。重要なのは、事実と事実とのあいだにある関係を理解することだ。それこそが哲学の役割である。哲学は世界観、すなわち私たちを取り巻く自然や社会にどう向き合うかという方法を与える。抽象的思考は、現実を反映するかぎりにおいて真理である。問題は、どうすればそのような真理に到達できるかということだ。
弁証法
ヘーゲル哲学における革新は、彼の客観主義に立脚していた。つまり、世界は人間とは独立して存在し、それ自体に内在する法則に従って運動しているという考えである。この立場に立てば、科学や哲学の任務は、外から世界に押しつける体系を作り上げることではない。世界をそれ自体に即して調べ、そこから世界を支配する法則を導き出すことにある。
ヘーゲルは『論理学』において、この方法を科学的思考そのものに見事に適用した。人間の思考がそれ自体の論理に従って展開する過程を、一歩ずつたどっていくのである。可能なかぎり単純で一般的な概念から出発し、理性的思考そのものを支配する法則を明らかにしようとした。
著作の冒頭で、ヘーゲルは「純粋存在」という単純な概念を考察するよう読者に促す。ここでいう「純粋」とは、完全に不確定で未分化であり、境界も固有の特徴もなく、それを定義するものが何もないという意味である。まさに、ただ「存在する」というだけの純粋存在だ。ヘーゲルによれば、どれほど考えても、そのような存在について何かを語ることはできない。何かを語った瞬間、それに限定を加え、定義することになり、もはや「純粋」ではなくなってしまうからである。
したがって、この純粋な形態では、特定の何かが存在するとは言えない。そこから、純粋存在は「無」と何ら変わらないという結論に行き着く。言い換えれば、「純粋存在」という概念は、ただちに「無」という概念へと移行する。
しかし、さらに考えを進めると、そこが最終的な到達点ではないことがわかる。「純粋な無」もまた、空虚で不確定であるという点で、純粋存在と変わらないからだ。
こうして、二つの概念を思考のなかに固定しようとすると、それらは互いに移行する。ヘーゲルは「それぞれは直ちにその反対のものへと消え去る」と述べている6。存在と無がこのように統一されるところに、新たな概念、すなわち「生成」が現れる。生成とは、存在と無の両方を内に含む、より高次の概念である。
この単純な例、あるいは思考実験を通じて、ヘーゲルは弁証法全体の萌芽を示した。そこでは、万物は絶え間なく変化し、生成しては消滅するという根本原理から出発している。
「鋭い、実に巧みだ! ヘーゲルは、ふつうは静止しているように見える概念を分析し、その内部に運動があることを示している。「有限」とは何か。終わりへ向かって進んでいるということだ。「何か」とは何か。「他者」ではないものということだ。一般的な存在とは何か。存在が非存在でもあるような、不確定性を意味する。」7
変化の道筋
「「運動」と「自己運動」(ここに注意。自立的・独立的で、自発的かつ内的必然性をもつ運動)、「変化」、「運動と生命力」、「あらゆる自己運動の原理」、「運動」や「活動」へと向かう「衝動」(Trieb)。これらは「死んだ存在」と対極にある。抽象的で難解な(重苦しく、不条理ともいえる?)ヘーゲル哲学の核心が、まさにこうしたものだと誰が想像しただろうか。この核心を発見し、理解し、[救い出し]、明るみに出し、磨き上げる必要があった。まさにそれを成し遂げたのがマルクスとエンゲルスである。」8
小ブルジョア的な経験論者にとって、物事は変わらないか、せいぜい同じところをぐるぐる回るだけである。今日が昨日と同じなら、明日もまた同じだろう。彼らの目には現状が絶対的なものに映る。そのため、現状を変えようとする試みを拒みながら、ただ不平をこぼし続けるほかなくなる。
彼らは、資本主義はこれからも存続する、労働者階級は決して立ち上がらない、革命党は結成できない、あるいは結成すべきではない、といった結論を裏づける理由をいくらでも見つけ出す。変化を認める場合でさえ、その原因を外部の力に求める。結局、現状が変わることを想像できないため、現状に屈服してしまう。しかし、現実には発展と変化は避けられない。
ヘーゲルは「天にも地にも、存在と無の両方を自らのうちに含まないものは何一つない」と記している9。ヘーゲルは天上の例を挙げていないが、地上にはその例がいくらでもある。
変化こそ、あらゆる物質の根本的な存在様式である。生まれ出るものはすべて、自らのうちに消滅の種を宿している。古いものと新しいもの、存在と無とのあいだのこの闘争こそ、発展の核心にある。そして資本主義も例外ではない。
この体制を崩壊へと導く力は、体制の外から持ち込まれるのではなく、その内部から生み出される。その担い手が、現代のプロレタリアートである。プロレタリアートの最大の特徴は、財産を持たず、生きていくために自らの労働力を資本家に売らざるを得ない階級だという点にある。その階級的利益は、資本主義の根幹をなす生産手段の私的所有や国民国家と、根本的に対立している。資本主義が発展するたびに、労働者階級はブルジョアジーに対抗する強大な階級へと鍛えられ、支配階級の打倒に向けた条件が準備されていく。
しかし、この過程は直線的でも漸進的でもない。資本家たちにとって革命とは、ストライキが「扇動者」のせいにされるのと同じく、狡猾でカリスマ的な指導者が突然現れて引き起こすものに見える。だが実際には、どの革命も、支配階級の利益とプロレタリアートの利益が衝突するなかで、社会的矛盾が長期にわたって高まった結果として起こる。

ドメイン
とはいえ、体制は何年ものあいだ、何事も起きていないかのように見えることがある。労働者は頭を垂れ、経営者の命令に従う。しかし遅かれ早かれ、ある偶発的な出来事をきっかけに、積もり積もった怒りが一気に噴き出す臨界点に達する。ダムが決壊し、大衆が政治の舞台へと押し寄せるのだ。
表面的な安定は、激しい動揺へと一変する。それまで労働運動の周縁に追いやられていた革命勢力が、突如として舞台の中心に躍り出る。すべては、前触れもなく、きわめて急激で激烈なかたちで起こる。
昨日まで「意識水準が低い」「組織が弱い」などとして労働者階級を見限っていた改革派は、予想もできず、制御もできない事態を前に呆然とする。これは、彼らの見方がいかに表面的であったかを示しているにすぎない。
ヘーゲルは「自然界には飛躍がないと言われる」と記している。レーニンが強く下線を引いた箇所である。「通常の想像力は、何かが生まれたり消滅したりする過程を考えるとき、それを……漸進的な出現や消失として理解したつもりになる」10。
実際はその逆である。発展は、決して単に直線的あるいは漸進的に進むのではない。一方では、量的な小さな変化が徐々に積み重なり、やがて突然の鋭い質的飛躍へと至る。他方では、質的な転換が量的な変化の急激な拡大をもたらす。
ヘーゲルは続けて、次のように述べている。
「水は冷やされても、少しずつ硬くなるわけではない。ペースト状の状態を経て、徐々に氷の硬さに達するのでもない。水は突然、硬くなる。すでに凝固点に達していても、静止していれば完全に液体のままであり、わずかな揺れを与えるだけで固体へと変わる。」11
量から質へ、あるいは質から量へという移行、言い換えれば「飛躍」は、あらゆる発展に共通する根本的な特徴である。しかし、こうした変化を引き起こす力や、発展がどの方向へ進むのかを理解するには、「常識」の範囲を超えて考えなければならない。肉眼ではすぐに見えない力や底流に、注意深く目を向ける必要がある。
表面の下にあるもの
日常生活では、私たちは物事を単純で固定したものとして捉えがちである。人間は人間、犬は犬、これはこれ、あれはあれ、と考える。しかし、少し注意深く見れば、その確信はすぐに揺らぐ。典型的な「犬」を探そうとしても、そのような犬は存在しない。どの犬もそれぞれに違っているからだ。
身近な一匹の犬、たとえば愛犬フィドを考えてみても、今日のフィドは昨日のフィドとまったく同じではない。何年も前に出会った子犬のころとは大きく違っているし、少し先には、今のフィドともまた違っているだろう。そうした姿を頭のなかに固定しようとすると、固定的で硬直した概念は指の間からすり抜け、無限に多様な世界へと溶け込んでいく。
ポストモダニストたちは、ここで思考を止め、「差異」こそが世界の本質だと宣言する。あらゆるものは他のあらゆるものと異なっているのだから、私たちの一般概念や範疇は、想像上の「構築物」にすぎないというのである。
しかし、その結論は早計である。差異に満ちた世界をよく見れば、あらゆるものが絶えず変化しているにもかかわらず、すべての水準でよく似たパターンや法則が繰り返し現れることに気づく。しかも、それらは驚くほど明瞭で、鉄の法則のように世界を貫いている。
一見すれば、まったく同じ犬は二匹といない。それでも、すべての犬に共通する本質的な特徴があり、それによって犬は犬たりうる。フィドの体を構成する細胞も、分子も、原子も、絶えず運動し変化している。それでも、その時々の一時的で偶然的な姿を超えて、フィドを犬たらしめる性質が保たれている。事物の同一性は差異から切り離されて存在するのではなく、差異を通じて成り立つのである。
古代のプラトン哲学では、事物の本質は理想的な原型とされ、私たちが経験する生き生きとした多様な世界の上位に、あるいはそれと対立するものとして置かれていた。一方、ポストモダニストにとって事物の本質とは、人間が外部の現実に投影する恣意的な観念上の構築物にすぎない。
この問題について、レーニンは次のように書いている。
「小賢しい哲学者たちは、本質と直接に与えられるもののどちらを基礎に据えるべきかをめぐって論争する(カント、ヒューム、そしてすべてのマッハ主義者)。これに対してヘーゲルは、「あるいは」ではなく「そして」を提示し、この「そして」がもつ具体的な内容を説明している。」12
現代科学が繰り返し明らかにしてきたように、事物の本質、すなわちその事物をそれたらしめているものは、事物そのものに内在する諸関係にほかならない。それは物質の内的な運動であり、自然が私たちの周囲でとる無数の形態や構成のうちに生まれ、そこに表現されている。
チャールズ・ダーウィンは生物進化論において、生物がどのように進化するかを説明した。生存と繁殖に有利な変異が自然選択を通じて残され、世代を重ねるなかで生物は変化していく。「これほど単純な始まりから」とダーウィンは記している。「このうえなく美しく、驚くべき無数の形態が、これまでに進化し、そして今も進化し続けている」13。
進化の法則は生物から切り離されて存在するのではない。それは生物そのものの発展のあり方である。人間を他の動物と区別するのは、肉眼ではすぐに見えない事物の側面を抽象し、それについて考察することで、現象全体をより深く理解できる能力にほかならない。言い換えれば、私たちの思想や一般概念は、世界を支配する実在の法則や諸関係を近似的に捉えたものなのである。
事物の内部へ深く分け入れば入るほど、その諸関係をより多く明らかにできる。そして、私たちの観念は、事物そのものの本質をいっそう正確に反映するようになる。
レーニンは次のように記している。
「自然は具体的であると同時に抽象的であり、現象であると同時に本質であり、瞬間であると同時に関係である。人間の概念は、抽象性や分離性という点では主観的だが、全体として、過程として、総体として、傾向として、源泉においては客観的である。」14
矛盾
日常的な思考は、ある現象のすぐ目につく一側面を取り出し、それをほかの側面と切り離して対置する。日常の作業では、この方法で十分なことも多い。しかし、注意深く見れば、自然は一面的でも単純でもなく、多面的で、矛盾に満ちていることがわかる。
レーニンが傍線を引いた箇所で、ヘーゲルは一面的な抽象は死んだものだと説明している。「しかし、矛盾こそがあらゆる運動と生命力の根源である。何かが運動し、衝動と活動をもつのは、それが矛盾を含んでいるかぎりにおいてのみである」15。
ヘーゲルはさらにこう述べる。「何かが運動するのは、ある時点ではここにあり、別の時点ではあそこにあるからではない。同一の時点において、ここにありながら、同時にここにないからである。この『ここ』において、それはあると同時にないのである」16。これが、あらゆる運動と発展の過程である。
弁証法は、日常的思考の一面的な世界観を単純に排除するのではない。それを、より高次の真理を構成する一側面として包摂する。現象のあらゆる側面、すなわち内的・外的な諸関係を捉え、それらが矛盾し合いながら成り立つ複雑な全体として把握するのである。
このことを認めれば、まったく新しい世界が見えてくる。そこでは、各部分は全体と相互に関係し、存在は無へと移行し、無もまた存在へと移行する。量は質へ、質は量へと移り、同一性と差異は互いに浸透し合い、形式と内容は絶えず対立し合う。最も複雑な過程の根底にも、単純な原理が働いている。世界はこのように、あらゆるものが相互につながった全体なのである。
レーニンは「世界のあらゆる過程を、その『自己運動』、自発的な発展、現実の生命において認識するための条件は、それらを対立物の統一として認識することである」と記し、さらに「発展とは、対立物の『闘争』である」と付け加えている17。
法則的な発展
ある現象の内部へ深く分け入り、その矛盾した諸関係を正確にたどればたどるほど、その現象は偶然や恣意によって生じているようには見えなくなる。代わりに、その必然的な、つまり法則に従った発展の道筋が、少しずつ明らかになってくる。

ここにあるのは、ブルジョア哲学の硬直した範疇とはまったく異なる世界観である。弁証法的な見方は、現象の外面的な性質や一時的な段階だけを捉えるのではない。その現象が生まれてから必然的に消滅するまで、次々と移り変わる段階を含め、発展の全体を捉える。この方法こそ、マルクス主義の中核をなしている。
レーニンは次のように記している。
「『資本論』において、マルクスはまず、ブルジョア的な(商品)社会における最も単純で、ありふれた、根本的かつ普遍的な日常関係、すなわち何十億回となく繰り返される商品交換を分析する。このきわめて単純な現象、つまりブルジョア社会の「細胞」を分析することで、近代社会のあらゆる矛盾、あるいはあらゆる矛盾の萌芽が明らかになる。その後の叙述では、個々の部分を総括しながら、これらの矛盾と社会そのものの発展、すなわち成長と運動の双方が、その始まりから終わりまで示される。……一般に弁証法を叙述し、研究する方法も、これでなければならない。マルクスにとって、ブルジョア社会の弁証法は、弁証法一般の一つの特殊な事例にすぎないからである。」18
マルクスは弁証法的方法を適用することで、資本主義の法則を明らかにした。そしてその基礎に立ち、自らの死後における資本主義社会の発展全体を、大まかな輪郭において正確に予見することができた。その発展は必然的に、プロレタリアートの権力掌握と、私有財産および国民国家の廃止へと向かう。
私たちの共産主義綱領は、マルクスとエンゲルスが人類史の研究を通じて最初に明らかにしたこの展望を土台としている。その正しさは、今日に至るまで日々裏づけられている。
だからこそ、レーニンは次のように記した。「ヘーゲルの『論理学』全体を徹底的に研究し、理解しなければ、マルクスの『資本論』、とりわけその第一章を完全に理解することはできない。したがって、半世紀を経た今なお、マルクス主義者は誰ひとりマルクスを理解していないのだ!!」19
ヘーゲルを正しく読み解く
ヘーゲルは、運動と変化の科学としての弁証法を、きわめて包括的に論じた。今日に至るまで、その思想は資本家階級の公式な哲学的教説をはるかに凌駕している。
しかし、ヘーゲルの手にかかると、弁証法は神秘主義的で観念論的な形をとった。そこでは弁証法は、自然の発展に内在する法則ではなく、ヘーゲルが「絶対精神」あるいは「絶対理念」と呼ぶものの発展法則とされた。ヘーゲルは理念が「自然の創造者となる」と記している。これに対してレーニンは、ただ「!!ハハ!」と書き込んだ20。
ヘーゲルにとって、「存在」「無」「生成」「量」「質」「本質」「現象」などの論理的範疇は、万物を包摂する「理念」を構成する要素として、それ自体で存在している。そして、その「理念」が自然を通じて自己を表現する。自然のうちに展開した絶対者は、理性的思考において最高の形態をとり、ヘーゲル哲学そのものにおいて頂点に達する。
ヘーゲルは、人間の活動に対する抽象的思考の究極的な優位を主張した。彼が活動を論理学の重要な構成要素として取り入れたとしても、それは何よりもまず論理的範疇としての位置づけだった。論理学の全体を通じて、読者は外界を離れ、「純粋思考」の領域にとどまらなければならないと主張している。
それにもかかわらず、ヘーゲルは自らの論理に導かれ、自説を論証する過程で、何度も唯物論へと近づかざるを得なかった。レーニンが指摘したとおり、「ヘーゲルの著作のなかでも最も観念論的なこの著作には、観念論が最も少なく、唯物論が最も多く含まれている。『矛盾している』が、これは事実なのだ!」21
ヘーゲルは哲学的観念論の陣営に属していた。観念論は、精神こそが現実の主要な構成要素であり、外界は何らかのかたちで精神から派生したもの、あるいは精神の反映にすぎないと考える。あらゆる宗教は哲学的観念論の陣営に属する。ヘーゲル自身も、自分が宗教的体系を構築していることを隠そうとはしなかった。
これに対して、マルクス主義者は哲学的唯物論者である。観念論者とは異なり、私たちは、私たちが感覚し、働きかけることのできる物質世界だけが存在すると考える。人間の精神はこの物質世界の産物であり、思想はその反映にほかならない。
レーニンはこう記している。「私は全般に、ヘーゲルを唯物論的に読み解こうとしている。ヘーゲルは逆立ちした唯物論である。……つまり私は、神、絶対者、純粋理念などを大部分切り捨てているのだ」22。
レーニンがそのように読めたのは、ヘーゲルの思想の核心部分において、「絶対理念」という概念が決定的な役割を果たしていないからである。実際、フリードリヒ・エンゲルスが指摘したように、ヘーゲルは「絶対理念」について「まったく何も」述べていない23。
マルクス主義者は、弁証法が自然から切り離されて独立に存在するとは考えない。弁証法の法則は観念の法則ではなく、最も一般的な水準で自然そのものに内在する法則性を反映している。人間は世界との相互作用を通じて、こうした法則をますます深く認識していくことができる。これがマルクス主義哲学の基礎、すなわち弁証法的唯物論である。
レーニンは次のように記している。「論理学とは、思考の外面的な形式を扱う科学ではない。『あらゆる物質的、自然的、精神的なもの』の発展法則、つまり世界の具体的内容全体の発展とその認識、言い換えれば、世界認識の歴史全体とその総括を扱う科学である」24。
弁証法をヘーゲルの死んだ観念論の束縛から解き放ち、「正しい向きに戻す」ことができたのは、マルクスとエンゲルスの偉大な功績の一つである。科学と文化の進歩によって自然の弁証法が日々明らかにされる一方、ヘーゲルの観念論、すなわち「絶対精神」は、その下にある生きた有機体が発展を続けるために脱ぎ捨てられなければならない、生命のない外骨格として残るにすぎない。
理論と実践
観念はどこから生まれるのか。私たちの内面を漂う、魅惑的な観念の数々。その具体的な起源はとうの昔に忘れ去られたため、人々は何千年ものあいだ、それらに神秘的な性質を与えてきた。観念論において、観念は自然や社会の上に立つ強大な力として、人間の前に立ちはだかる。
しかし、観念は独立して存在するものではない。また、主観主義者たちが考えるように、人間と外界とのあいだに越えがたい障壁を築くものでもない。精神とは、人間という種が備えた調整機能であり、労働を通じて、私たちと周囲の自然との隔たりを埋める働きをする。

マルクスは次のように説明している。「観念、概念、意識の生産は、当初、人間の物質的活動や物質的な社会関係、すなわち現実の生活の言語と直接に織り合わされている」25。私たちを取り巻く世界との絶え間ない相互作用、マルクスのいう「人間と自然との物質代謝」を通じて、周囲を理解し、それを自らの必要に合わせて変えるための概念が生まれる。その過程で、私たち自身も変化する。論理的範疇のような思想は超自然的な現象ではない。自然そのものを反映したものであり、その起源は人間の社会的活動にある。
レーニンはこう指摘している。「ヘーゲルにとって、行為、すなわち実践は、論理的な『三段論法』であり、論理の形式である。そして、それは事実なのだ。ただし、論理の形式が人間の実践とは別個に存在する(絶対観念論)という意味ではない。逆である。人間の実践が何十億回となく繰り返されるうちに、論理の形式を通じて人間の意識に定着するのだ。まさにこの反復によってのみ、そうした形式は先入観のような安定性と、公理のような性格を獲得するのである」26。
つまり、ヘーゲルが『論理学』で描き出した思考の弁証法的性格も、人間が働きかける自然の反映にほかならない。ヘーゲルの言葉を借りて、レーニンは「自然、この直接的な全体性は、論理的理念のうちに自己を展開する」と記している。さらに、次のように述べる。
「論理学は認識の科学であり、認識論である。認識とは、人間による自然の反映である。しかし、それは単純でも、直接的でも、完全な反映でもない。認識とは、一連の抽象化の過程、すなわち概念や法則などが形成され発展する過程である。これらの概念や法則、つまり思考や科学、いわゆる「論理的理念」は、絶えず運動し発展する自然の普遍的で法則的な性格を、条件つきで、おおよそのかたちで捉えている。」27
人類は何千年もの試行錯誤を通じて、自然のさまざまな側面をより深く捉える思想や一般概念を発展させてきた。それらは人間の経験を凝縮したものとなっている。弁証法は、これまでのそうした発展が到達した一つの頂点である。
しかし、知識は、私たちの活動の成果が脳に刻み込まれていく一方向の過程ではない。同時に、逆向きの過程も進行している。法則に支配された世界のさまざまな側面を抽象的に捉えたうえで、私たちは思考を通じてその観念を吟味し、深めることができる。それによって、次の実践をさらに豊かなものにできるのである。
結局のところ、私たちの思想が、変革しようとする客観的世界と直接に向き合うのは実践においてである。そして、この過程を通じて思想は客観性を獲得する。レーニンはこう記している。「理論的観念(認識)と実践の統一――ここに注意せよ――そして、まさに認識論におけるこの統一こそが、結果として得られる総体を[客観的理念]たらしめるのである」28。
俗物にとって、理論はせいぜい好奇心の対象にすぎない。しかし、理論と実践が互いに導き合いながら展開する弁証法的な相互作用こそが、「事物、現象、過程などについての人間の認識を、現象から本質へ、さらに浅い本質からより深い本質へと深めていく終わりのない過程」を特徴づけている29。
これは、人間による自然への働きかけと支配力を、同時に強め、広げていく過程である。世界を支配する法則への理解が深まるほど、私たちは自らの目標や願望をより効果的に実現できる。ここに、共産主義者にとって理論が重要である理由がある。
トロツキーは次のように説明している。
「理論を行動の指針とみなす人間は、はるかに厳格で、緻密で、均衡のとれた人物である。応接間で論じるだけの懐疑論者は、何の責任も負わずに医学を嘲笑できるかもしれない。しかし、外科医は科学的な不確実性のなかで仕事をすることはできない。革命家にとって、理論を行動の指針とする必要が大きければ大きいほど、その理論を守る姿勢も妥協のないものになる。ウラジーミル・ウリヤーノフは、素人の浅薄な議論を信用せず、山師を嫌悪した。彼がマルクス主義において何よりも重んじたのは、その方法がもつ厳格な規律と権威であった。」30
驚きに先んじる理論の力
トロツキーはかつて、マルクス主義理論の優位性を「驚きに対する先見性」と表現した。まさにこの先見性と深い理解があったからこそ、レーニンとボリシェヴィキは、あらゆる方向から極度の逆境に直面しながらも勝利を収めることができた。
第一次世界大戦が始まった当初、権力、影響力、資源の面で見れば、ボリシェヴィキはヨーロッパでも最も弱い政治勢力の一つだった。帝政当局が煽り立てた愛国主義の高まりと、それに伴う国民的一体感の気運のなかで、党はロシア労働者階級から得ていた支持の大部分を失った。戦前のロシアで高まりつつあった革命の波はたちまち押しとどめられ、ツァーリ体制は一時的に勢力を強めた。
革命勢力は再び周縁へと追いやられた。さらに、工場などで活動したことへの懲罰として、多くの優秀な労働者が前線へ送られた。ボリシェヴィキの主要指導者の大半はヨーロッパに亡命していたが、戦争によって連絡網は途絶え、あるいは著しく寸断されていた。
ヨーロッパ各地では反動勢力が台頭し、勢力を拡大していた。労働者階級は後退を余儀なくされていた。銃や戦車、爆弾を手にしたヨーロッパのブルジョアジーは、大陸各地で殺戮を繰り広げながら進撃した。彼らに立ちはだかる者は容易に排除され、必要とあれば前線へ送られて命を奪われることさえあった。一方、自国の支配階級に追随したヨーロッパの社会民主主義指導者たちは、ブルジョア支配者の懐に身を寄せ、安穏としているように見えた。
資金は乏しく、組織基盤もほとんどなく、戦争によって党組織は大混乱に陥っていた。ボリシェヴィキにとって、権力掌握はかつてないほど遠い目標に見えたかもしれない。ところが、開戦からわずか三年余りで状況は正反対へと転じた。1917 年の十月革命において、ボリシェヴィキ党はロシアの労働者と農民を率いて権力を掌握した。これほど鮮やかな弁証法の実例は、ほかに想像しがたい。
ここには、実践における思想の力が示されている。ボリシェヴィキの成功は、マルクス主義の方法、すなわち弁証法的唯物論の方法の成功に帰することができる。
レーニンとボリシェヴィキは一貫して労働者階級の立場に立ち、戦争によってヨーロッパ全土に広がった民族排外主義への傾斜に、わずかな譲歩も拒んだ。戦争は当初、支配階級を強化した。しかしその後、社会の階級矛盾を鋭く浮き彫りにすることで、革命を推し進める最大の力へと転じた。
こうして、戦争初期には大衆の支持をほとんど得られなかったボリシェヴィキの革命的メッセージは、やがてロシア大衆の旗印となり、世界の支配階級を震撼させた。
機会主義とは、長期的な展望を捨て、目先の短期的な目標を優先する態度である。弁証法は、目の前の出来事にとらわれず、複雑で長期にわたる過程をその全体性において理解するための科学である。理論への献身と弁証法の習熟こそが、レーニンに敵対者たちに対する圧倒的な優位をもたらした。
政治において、物事の表面的な姿に惑わされれば、軽薄なスローガンを振り回し、「実践活動のきわめて狭い形への偏重」に陥る。しかしレーニンとボリシェヴィキは、党に及ぼす当面の影響がどうであれ、表面的な現象を突き抜け、物事の本質を見据えた。真理を追究することだけが、最終的に労働者階級を勝利へ近づけると知っていたからである。これこそが、彼らの成功の鍵だった。
レフ・トロツキーは、この問題の核心を次のように要約している。
「歴史上のあらゆる革命のなかで、最も偉大な革命を指導したのは、爆弾から出発した党ではなく、弁証法的唯物論から出発した党だった。これが歴史の教えるところである。」31
考文
- V・I・レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の要約」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、176 頁。 ↩︎
- L・トロツキー「レーニンはいかにしてマルクスを研究したか」、『第四インターナショナル』第 11 巻第 4 号、1950 年 7~8
月、126 頁。 ↩︎ - V・I・レーニン『何をなすべきか』、ウェルレッド・ブックス、2018 年、26 頁 ↩︎
- V・I・レーニン「一歩前進、二歩後退」、『レーニン全集』第 7 巻、プログレス出版社、1961 年、412 頁。 ↩︎
- V・I・レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の要約」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、171 頁。強調は原文。 ↩︎
- G・W・F・ヘーゲル『論理学』、ケンブリッジ大学出版局、2010 年、60 頁。 ↩︎
- V・I・レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の要約」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、110 頁。 ↩︎
- 同上、141 頁。 ↩︎
- G・W・F・ヘーゲル『論理学』、ケンブリッジ大学出版局、2010 年、61 頁。 ↩︎
- V・I・レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の要約」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、123 頁。 ↩︎
- 同上、124 頁。 ↩︎
- 同上、134 頁。 ↩︎
- C・ダーウィン『種の起源』、P・F・コリアー・アンド・サン社、1909 年、529 頁。 ↩︎
- V・I・レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の要約」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、208 頁。 ↩︎
- 同上、139 頁。 ↩︎
- G・W・F・ヘーゲル『論理学』、ケンブリッジ大学出版局、2010 年、382 頁。 ↩︎
- V・I・レーニン「弁証法の問題について」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、360 頁。 ↩︎
- 同上、360~361 頁。 ↩︎
- V・I・レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の要約」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、180 頁。 ↩︎
- 同上、174 頁。 ↩︎
- 同上、234 頁。 ↩︎
- 同上、104 頁。 ↩︎
- F・エンゲルス「ルートヴィヒ・フォイエルバッハと古典的ドイツ哲学の終焉」、『カール・マルクス=フリードリヒ・エン
ゲルス全集』第 26 巻、プログレス出版社、1990 年、360 頁。 ↩︎ - V・I・レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の要約」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、92~93 頁。 ↩︎
- K・マルクス『ドイツ・イデオロギー』、インターナショナル出版社、1947 年、13~14 頁。 ↩︎
- V・I・レーニン「ヘーゲルの著書『論理学』の要約」、『レーニン全集』第 38 巻、プログレス出版社、1961 年、217 頁。 ↩︎
- 同上、182 頁。 ↩︎
- 同上、219 頁。 ↩︎
- 同上、222 頁。 ↩︎
- L・トロツキー「レーニンはいかにしてマルクスを研究したか」、『第四インターナショナル』第 11 巻第 4 号、1950 年 7~8
月、127 頁。 ↩︎ - L・トロツキー『マルクス主義の擁護』、ウェルレッド・ブックス、2019 年、106 頁。 ↩︎