「学問に王道はない。そして、その険しい道を登ることを恐れない者だけが、その輝かしい頂に到達する機会を得る。」
――カール・マルクス『資本論』フランス語版序文1
本稿は、革命的共産主義インターナショナルの季刊理論誌『マルクス主義の防衛』第55号の巻頭論文である。
今号の準備を進めるなかで、ある同志が、一見すると単純だが、実はそうではない問いを投げかけた。マルクス主義を科学たらしめているものは何か、という問いである。マルクス主義の文献に親しんでいる読者なら、すでに答えを思い浮かべているかもしれない。しかしヘーゲルが指摘したように、周知の事柄は、広く知られているというだけで、本当に理解されているとは限らない。
これはどういう意味だろうか。何かを深く理解しようとするなら、答えをあらかじめ決めてかかるわけにはいかない。また、自分たちの方法が正しいと最初から思い込むこともできない。対象そのものを体系的に探究し、その過程を通じて、対象がどのような必然性に従って展開していくのかを示さなければならない。これこそがマルクス主義の科学的方法である。われわれはこの道筋をたどっていく。さあ、始めよう。
主張
問いに答えるため、まずは最も単純で直接的な答えから始めよう。マルクス主義者に、マルクス主義が科学的である理由を挙げてもらえば、おそらく次のような答えが返ってくるだろう。
- 客観性――世界は一つであり、それは人間から独立して存在する物質的な世界である。人間は自然の産物であり、われわれの観念は、究極的には物質世界を反映したものである。
- 法則性――人間社会を含むこの物質世界には法則が貫いている。世界と相互に作用することによって、われわれはその法則を発見できる。
- 実践――社会と自然の法則を理解すれば、その理解に基づいて世界を変えることができる。そして最終的には、われわれの観念が正しいかどうかを証明するのも、実践にほかならない。
これらはマルクス主義の科学的な基本原則である。そして、これらの原則はマルクス主義だけでなく、真摯な科学すべてに当てはまる。その意味で、これらの原則自体はまったく正しい。
しかし、ここでいったん立ち止まって考えなければならない。本当にこの答えだけで満足できるだろうか。この答えは、実際には何を説明しているのか。そして、どのような根拠によって正当化されるのか。

説明を伴わない主張は、何も説明しない。あまりにも当たり前のことなので、わざわざ口にするのもばかげているように思えるかもしれない。それでも、マルクス主義を擁護しようとするあまり、絶対に正しいものの、結局は何も説明していない一般論やスローガンを並べ立てるマルクス主義者を耳にすることは珍しくない。
科学的であると主張することや、その理由を一覧にして示すことには意味がある。しかし、それだけでは証明にならない。なぜこの一覧であって、別の一覧ではないのか。それはどこから生まれ、どのように用いられるのか。マルクス主義がなぜ科学的なのかを本当に理解したいのであれば、原則をただ主張するのではなく、その原則を論証し、説明しなければならない。
方法
もちろん、マルクス主義は単なる主張でも、恣意的に並べた原則の一覧でもない。何よりもまず、それは一つの方法である。そして、方法は科学にとって不可欠だ。マルクス主義は、先に述べた科学の原則を、最も一貫した、意識的な形で追求する立場をとる。われわれの理論に比類のない優位性を与えているのは、まさにこの点である。
方法が重要である理由を、具体例で考えてみよう。今日、社会科学や政治学と呼ばれる分野では、「こうあるべきだ」という議論を耳にすることが少なくない。世界はどのような姿であるべきか。飢餓はなくなるべきだ。資本家は自らの利益よりも人類全体の利益を優先すべきだ。こうした主張に反対する人は、ほとんどいないだろう。
貧困対策に取り組む慈善団体は、世界では100億人を養えるだけの食料が生産されていると正しく指摘しながら、農産物の余剰を支配階級が再分配すべきだと繰り返し訴えている。しかし、その善意に満ちた願いは、たちまち現実の壁に突き当たる。資本主義のもとでは、食料は人々を養うためではなく、利潤を得るための商品として生産される。飢えた人々に支払う能力がなければ、市場の論理は、食料を無償で配るよりも、価格を維持するために余剰食料を廃棄することを要求する。
「こうあるべきだ」という善意の道徳的主張があっても、その多くは現実には実を結ばない。「あるべき姿」を求める運動は、資本主義を改革できるという幻想を広める運動になり、やがて自らの正反対のものへと転化してしまう。つまり、飢餓や困窮と闘うはずだった思想が、それらを生み出している体制そのものを存続させる思想へと変わってしまうのである。
「こうあるべきだ」という考え方は、客観的な世界ではなく、個人の主観的な願望を出発点とする。世界を動かしている法則を無視するため、実践においては自らの目的を裏切る結果となる。言い換えれば、先ほど挙げた三つの原則のすべてに反しているのだ。
レーニンは「マルクスの学説は全能である。なぜなら、それは正しいからである」と書いた2。この言葉の力は、マルクス主義が「何が起こるべきか」ではなく、「何が起きているのか、そしてなぜそうなっているのか」を土台としている点にある。われわれの願望とは関係なく、現象をありのままに客観的に捉え、それを生み出している法則と運動の仕組みを把握してこそ、われわれは現象を変えることができる。

意識的な探究方法を持つことは、きわめて重要である。見当違いのところを探せば、見当違いの答えに行き着くからだ。
とはいえ、方法を抽象的に述べるだけでは、依然として意図や約束を表明したにすぎない。真剣に考える人なら、それがどこから生まれ、何を生み出しうるのか、そしてどのように機能するのかを問うだろう。マルクス主義の科学的原則こそがわれわれの方法なのだと言うことは、それらの原則をただ断言するよりも一歩踏み込んだ答えではある。しかし、まだ証明にはなっていない。
結果
ここで読者のなかには、次のように反論する人もいるだろう。客観性・法則性・実践という原則に基づくわれわれの方法は、恣意的な思想の寄せ集めではない。それ自体が、自然と人間社会を対象とする長い科学的探究の過程から生まれたものなのだ、と。
マルクスとエンゲルスは、自分たちの思想を、それ以前の思想すべてとの断絶のなかで、無から作り出されたものとは考えていなかった。むしろ、先人たちが積み重ねてきた成果の上に築かれたものと捉えていた。この点は、今号に掲載されているジョシュ・ホルロイドとジェローム・メテリュスの論文「マルクスはいかにしてマルクス主義者になったのか」で説明されている。
科学的方法そのものも、数十万年に及ぶ試行錯誤を通じて形づくられてきた。初期社会の実践的な経験から、先人の成果を引き継ぎながら発展してきた無数の学派による体系的な研究に至るまで、その過程は長い。こうした積み重ねを通じて、人類は、世界が自分たちから独立して存在すること、世界にはそれ自体の法則があること、そしてその法則を把握すれば人間の利益のために活用できることを理解するに至った。
資本主義の勃興とともに起こった科学の革命を土台として、マルクスとエンゲルスは、これらの結論をそれ以前の誰よりも鋭く発展させ、人間社会そのものに首尾よく適用することができた。
マルクス主義の科学的原則、すなわち客観性・法則性・実践は、単なる意図でも出発点でもなく、一つの結果である。科学の歴史から導き出された、最も一般的な結論なのだ。だからこそ、これらの原則には人類が積み重ねてきた経験のすべてが刻み込まれている。
これは決して些細な違いではない。旅に出ようとする人は、旅先で何を経験するつもりなのか、どのように旅を進めるつもりなのかを語ることができる。しかし、同じ人が旅から戻り、そこで得た教訓を語るなら、その言葉はまったく違った重みを持つだろう。たとえ、出発前に語ったこととまったく同じ内容だったとしてもである。
それでも、結果をただ述べるだけでは、その結果を説明したことにはならないと認めなければならない。実際、結果だけを切り離して取り上げても、われわれの主題についてほとんど何も分からない。われわれの原則は、どのように証明されるのか。どのような過程を経てそれらに到達したのか。そして、それぞれの原則はどのようにつながっているのか。
ダグラス・アダムズの小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、スーパーコンピューターが「生命、宇宙、そして万物についての究極の問いへの答え」を求めて750万年にわたり計算を続ける。そこで導き出された答えは「42」だった。この答えに困惑したコンピューターの製作者たちの子孫は、そもそも問いが何だったのか、そしてどうしてその答えにたどり着いたのかを明らかにするという、途方もない使命に駆り立てられる。

解剖学者の台に臓器をすべて並べても、それは生きた身体ではない。同じように、正しい結論を横に並べただけでは、生きた科学にはならない。意図せずして、そのような擁護は、擁護しようとするものそのものに防腐処理を施してしまう。
結果だけを取り出せば、それは相互につながりのない、静的な概念の一覧にすぎない。だからこそ結果は、本来あるべき位置に置かれなければならない。つまり、発見に至る過程の終点にである。そのためには、まず過程全体を理解する必要がある。
探究の過程
生物学を例に、科学の歴史とその方法を考えてみよう。今日、科学の起源はしばしば曖昧に語られ、まるで科学者を志す人々の頭のなかから、科学が完成した姿で突然生まれたかのように扱われている。しかし、そうした見方は、科学が社会的生産の実践的な必要から生まれたという、最も重要な事実を見落としている。最初期の科学である天文学と数学は、農業や航海、そして大規模な社会基盤の建設から直接に発展した。
生物学は、当初から独立した科学として存在していたわけではない。しかし、その萌芽はすでに初期社会の実践のなかにあった。初期の人類はダーウィンの進化論など知る由もなかったが、狩猟や身を守るために、選択の原理を利用してオオカミを家畜化し、犬へと改良していった。
その後、農耕社会が成立すると、野生の草が栽培され、小麦、米、アワ、トウモロコシなどへと改良された。また、ヤギ、ヒツジ、ウシ、ブタは、肉や乳、皮、羊毛、肥料を得るために家畜化され、やがて犂を引くためにも使われるようになった。
こうした変化は、理論的な裏づけをほとんど伴わず、実践のなかで試行錯誤を重ねることによって進んだ。古代の思想家のなかには、ダーウィンの進化論を先取りする考えにたどり着いた者もいた。紀元前1世紀のローマの詩人・哲学者ルクレティウスは、自然がさまざまな生命の形態を試し、環境に適さない、あるいは「奇形」とされた生物は、うまく繁殖できなかったために絶滅したのだと論じた。
これは当時としては驚くべき着想だった。しかし、限られた個人的観察に基づく優れた推測にとどまり、それ以上発展させる手段を欠いていた。生物学の根底にある法則を明らかにするには、まず個々の事実を収集し、整理する必要があった。
「生物学の父」と呼ばれるアリストテレスは、およそ500種の動物を記述し、その多くを解剖した。弟子のテオフラストスは植物について同様の研究を行った。ローマ軍団に従軍した外科医ディオスコリデスは、600種の薬草を手引書にまとめた。その書物は、15世紀後もなお使われていた。収集、解剖、分類は、およそ2,000年にわたって生物学の中心的な営みであり続けた。
資本主義の勃興とともに、科学は大きな推進力を得た。大学や学術団体のネットワークが広がり、世界貿易によって、ヨーロッパの科学者たちは大量の新種や標本に接することができるようになった。
18世紀、スウェーデンの植物学者・動物学者カール・フォン・リンネは、動植物の近代的な分類体系を導入し、山のように蓄積された新たな経験的知識に秩序を与えた。『植物の種』と『自然の体系』において、彼は共通する身体的特徴に基づき、すべての生物を階層的に分類した。当初、リンネは自然界を動物界・植物界・鉱物界の三界に分け、それぞれを綱、目、属、種へと細分化した。
これは、2,000年にわたって蓄積されてきた知識の集大成だった。何より重要なのは、生命全体を対象とする本格的な科学研究を始めるための土台を用意したことである。
大きな前進ではあったものの、リンネの体系には硬直性があった。生命は、神によって秩序づけられた、互いに独立したカテゴリーからなる恒久的な格子のように捉えられていた。そこでは、あらゆる生物が変更不可能な区画に割り当てられ、その名称も表面的な解剖学的特徴だけに基づいて付けられていた。種とその特徴の内的なつながりを理解し、説明するには、まず外面的な分類が必要だった。しかし、いったん分類体系が確立されると、今度はそれが生物学のさらなる発展を妨げる足かせとなった。
この行き詰まりを打開したのがチャールズ・ダーウィンである。ビーグル号での航海中、ダーウィンは、訪れた土地で出会った観察した種のなかに、これまで考えられていた以上の多様性があることを発見した。そこには、旧来の分類体系で「定められた」はずの位置から外れ、固定的だと考えられていた境界をまたぐ形態が存在していた。
長年にわたる観察、実験、研究をもとに、ダーウィンは進化論を発展させた。それによれば、すべての生物は、生存をめぐる闘争を通じて働く自然選択という過程によって進化する。彼の代表作『種の起源』は、最初期の文明が、そして本稿が出発点としたのと同じく、家畜化から議論を始めている。そして、育種家が人為的な選択によって行うことを、自然は必然的な過程として行うのだと示した。
ダーウィンの理論は、三つの単純な事実に基づいている。第一に、生物には変異がある。同じ種に属する個体であっても、完全に同じものは二つとない。第二に、こうした変異の一部は子孫に受け継がれる。第三に、生き残ることのできる数を上回る個体が生まれるため、その大部分は繁殖する前に死ぬ。そこから、生き残る個体は、たまたま自らの生存環境に適した変異を持っている傾向にある、ということが導かれる。
生き残った個体は、その形質を子孫に伝える。こうして、種の進化が起こり、環境によりよく適応した新たな種が現れる一方、適応できない種は絶滅していく。
リンネの分類は、実証された内的なつながりではなく、外面的な特徴に基づいていた。ダーウィンは、すべての生物が共通の祖先に由来し、互いに関係する生物群が入れ子状の階層をなしていることを示すことで、その内的なつながりを明らかにした。そこに現れたのは、あらかじめ定められた固定的な構造ではなく、「生命の樹」だった。つまり、生物は絶えず変化し続けており、それ自体の法則に従って発展する歴史的過程のなかにある。そして、その法則がいまや明らかにされつつあった。
こうして生物学は、単なる名称の一覧であることをやめ、客観的な法則を研究する科学となった。ほかの自然法則と同様、進化の法則も、自然の外から命令のように課されるものではない。それは、生物がそれぞれの生存条件のもとで生き延び、繁殖するあり方を示すものにほかならない。進化の法則とは、客観的な過程そのものなのである。
ダーウィンの発見がもたらした影響は、いくら強調してもしすぎることはない。農業、医学、遺伝学、神経科学、心理学など、ほんの数例を挙げるだけでも、その理論と後の発展は、生産と科学における飛躍的な進歩の基礎を築いた。実際、世界各地で行われる新たな品種改良やワクチン開発の一つひとつを通じて、この理論の正しさは日々確かめられている。
ここまで見てきたのは、生命の進化だけではない。科学そのものの進化でもある。生物学が独立した科学として成立する以前、それは、世代から世代へと磨かれてきた単純な技術を基礎とする、原始的な農業の一部として存在していた。科学としての生物学は、長い解剖と分類の時代を経て、自然の客観的な法則を研究する学問へと発展した。
どの段階においても、生物学を前進させたのは実践的な経験だった。これは、ほかのあらゆる科学にも当てはまる。進歩のたびに、主観的で偶然的な要素は後退し、法則的で客観的なものが中心に据えられていく。こうして、科学的探究の基本原則が、科学そのものの発展過程から導き出されていく様子を見ることができる。
人類の進化
ここまでの議論から、科学が実践・法則性・客観性を含むことは認めても、現実そのものが物質的なものだという点には、なお異論を唱える読者がいるかもしれない。人間社会はどうなのか。何より、意識はどうなのか。実際、意識が現実そのものを決定すると主張する科学者もいる。

人類は生命の歴史のなかで、どこに位置づけられるのだろうか。すでに見たように、生存をめぐる闘争は進化を動かす力である。種の盛衰は、環境に適応し、栄養を得て、安定を保つ能力によって左右される。この過程がたどった無数の方向のうちの一つは、感受性を次第に高め、ついには意識へと至る道筋だった。物理的な刺激に反応して反射運動を生み出す最初の感覚細胞から、散在していた神経細胞が集まって最初の神経系を形成する段階を経て、ある程度の意識を備えた哺乳類の発達した脳へと至る。そして、ついに人類に行き着くのである。
何世紀にもわたり、宗教は人類を、動物界とその法則を超越した神の創造物として描いてきた。ダーウィンの理論は、人類を地上へ、すなわち本来あるべき位置へと引き戻した。人類もまた、進化の法則に従っている。しかし、そう述べるだけでは、進化が具体的にどのように起きるのかは分からない。同じ法則が、象にあの大きく揺れる耳をもたらすことも忘れてはならない。人間社会の発展を抽象的な原理から演繹することはできない。それは、ほかのどの種とも根本的に異なる独自の条件のもとで、具体的にたどられなければならない。
ダーウィンの後継者たちは、大きな脳と高度な知性が先に進化し、それによって初期の人類は直立歩行や道具の使用を身につけることができたのだと主張した。この見解には、疑いなく当時の観念論的な偏見が反映されている。しかしフリードリヒ・エンゲルスは、代表作『猿が人間になるについての労働の役割』において、まったく逆のことを論じた。エンゲルスによれば、まず自然との物質的な相互作用があり、人間の知性はその結果として生まれたのである。
この過程は、二足歩行から始まった。人類の祖先が樹上生活を離れ、開けた草原へと進出するにつれて、直立歩行によって自由になった手は、まったく新しい活動、すなわち労働に使われるようになった。祖先たちが道具を作り始めると、進化の新たな力学が動き出した。
道具を作るには協力が必要だった。この社会的な必要性が言語の進化を促し、明瞭な言葉を話せるように、原始的な喉頭の構造を変化させた。器用に動く手とともに、意思疎通は脳を刺激し、脳は急速に発達した。人間の知性が文明世界を生み出したのではない。世界との物質的な関わりが、人間の知性を生み出したのである。
主流の人類学では1世紀にわたって顧みられてこなかったエンゲルスの人類発展の順序は、化石記録によって裏づけられてきた。アウストラロピテクスは、チンパンジーとほとんど変わらない大きさの脳を持ちながら、直立二足歩行をしていた。つまり、二足歩行は脳の大型化に数百万年も先行していたのである。
マルクスとエンゲルス以前、歴史は偉人たちの物語として、あるいは無数の個人の偶然の行動や神の介入によって説明されてきた。二人は、人間社会も自然のほかの領域と同じように、個人の意志を超えて作用する独自の法則を持つことを示した。人間の意識が人間の存在を規定するのではなく、むしろ人間の社会的存在がその意識を規定するのである。こうした法則は、いったん理解されれば、世界をよりよく変えようとする人々にとって計り知れない価値を持つ。
ダーウィンと同じように、マルクスは人間の発展法則を、生命そのものの生産と再生産にまでさかのぼって明らかにした。人間が芸術や文化、政治に携わるためには、まず食べ、飲み、住居と衣服を確保しなければならない。社会の歴史そのものが展開するのは、まさにこの土台、すなわち生活必需品の社会的生産のうえにおいてである。この点については、今号に掲載されているアダム・ブースの論文「マルクス主義経済学の起源」で、さらに詳しく論じられている。
人間は生産活動を通じて、道具、技術、技能、知識を発展させる。これらは生産力とも呼ばれる。生産力を用いるためには、人間は互いに一定の関係を結ばなければならない。そして、その関係はわれわれの意志から独立している。主人も奴隷も、奴隷制社会の外に立つことはできない。
生産関係を土台として、社会の法的・政治的上部構造が築かれ、社会的・文化的・知的生活全般もそのうえに展開する。しかし、生産力は立ち止まらない。その発展のある段階で、生産力は既存の生産関係と必然的に衝突する。すると、それまで生産力の発展を促していた生産関係は、今度はその発展を妨げる足かせへと変わる。マルクスが説明したように、そこから社会革命の時代が始まる。
科学とは何か
マルクスとエンゲルスは、人類が自然の産物であり、自然のほかの領域と同じく、独自の客観的な発展法則に支配されていることを明らかにした。人間の精神は、特定の仕方で組織された物質にほかならない。そして、われわれの思考は、究極的には社会的生産を反映したものなのである。
『資本論』には、次のように書かれている。
「労働は、まず第一に、人間と自然とのあいだで行われる過程である。人間は自らの行為を通じて、人間と自然との物質代謝を媒介し、調整し、制御する。ここで問題にするのは、動物的な段階にとどまる労働の初期の本能的形態ではない。[中略]蜘蛛は織工に似た作業を行い、蜜蜂は巣房をつくることで、多くの人間の建築家を赤面させるほどだ。しかし、最も劣った建築家でさえ、最も優れた蜜蜂と異なる点がある。建築家は蝋で巣房をつくる前に、頭のなかでそれを構想するのである。あらゆる労働過程の終わりには、労働者がその開始時点ですでに思い描き、したがって観念としてすでに存在していた成果が現れる。」3
この一節を読むと、何千年ものあいだ人間の精神に対する理解を覆ってきたベールが、少しずつ取り払われていく。労働が精神を生み出し、その発達を促す。そして精神は、今度は労働を導き、組織する。人間においては、生命はもはや本能のままに自然に反応するだけではない。人間は意識的に自然に働きかけ、自然との相互作用から教訓を得て、それを再び実践に生かす。言語を通じて、われわれはその教訓を共有し、人から人へ、世代から世代へと伝えていく。
この能力が人類にもたらした優位性は計り知れない。人間の知識は、個人のなかで完結する過程ではなく、社会的な過程である。人類の生産力が発展するにつれて、その思想も発展してきた。科学は、その最も高度な形態である。つまり、科学とは知識を体系的かつ社会的に生産する営みなのだ。思考は実践から生まれる。そして、思考が適用され、試されるのもまた実践においてである。この精錬の過程を通じて、科学は一歩前進するたびに、思弁や迷信、神を、さまざまな領域から一つずつ退けてきた。その代わりに現れたのは、自然それ自体によって説明され、自然自身の法則によって動く、より明晰な自然の客観的な姿である。したがって、あらゆる科学的探究の中心には、当然ながらこれらの法則が据えられなければならない。
生きた科学
ヘーゲルは、真理は具体的であると説明した。具体的であるとは、有機的な全体をなしているということだ。何かを本当に理解するには、その構成要素をただ列挙するだけでは足りない。それらがどのように必然的につながり、どのように発展していくのかを明らかにし、論証しなければならない。究極的に、証明が見いだされるべきなのはまさにここである。
もちろん、新しい主題に初めて取り組むとき、項目を列挙・分類し、抽象的な範疇や基本概念をある程度暗記することになるのは自然なことだ。それは、あらゆる科学に共通する第一段階である。
しかし、それに続いて第二段階、すなわち本格的な研究が必要となる。そこでは、対象となる素材のなかに深く入り込み、それに身を委ねるようにして、その内的な運動が展開していくさまを捉えなければならない。
マルクス主義の科学的方法は、生命そのものの発展から生まれる。すなわち、マルクスが人類と自然との物質代謝と呼んだ過程から生まれるのである。マルクス主義は、現在も進行しているその過程を、最も意識的かつ一貫した形で表現したものだ。その過程から導き出された一つの結果であり、方法としてその過程に再び適用されるのである。
方法は、それが実践に適用され、その結果を生み出すのでなければ、空虚な抽象にすぎない。正しい方法がなければ、探究は道を誤り、正しい結果に到達できない。そして、あらゆる探究の目標である結果も、正しい方法に基づき、探究そのものの必然的な展開を通じて証明されて初めて、確かなものとなる。
ここに現れるのは、マルクス主義の科学的方法、その適用、そしてその結果の弁証法的統一である。この三つは、どれ一つとして単独では成り立たない。科学が正当性を持つのは、それぞれの契機が他の契機と必然的に結びついているからこそだ。そこにあるのは、死んだ硬直的な原則の寄せ集めではない。適用のたびに理解が深まっていく、生きた具体的な科学なのである。
これこそがマルクス主義の科学的方法である。さあ、探究を始めよう。