以下の声明は、革命的共産主義インターナショナルによって発表されたものであり、パレスチナ人民との連帯を表明するものである。この声明は、10月7日のハマスによる奇襲攻撃を口実に、ガザに対して血まみれの報復を加える反動的なイスラエル国家を支持する、西側帝国主義とその手先どもの卑劣な偽善に対する回答である。さらに我々は、パレスチナの自由は革命的手段と、この地域全体における資本主義の打倒によってのみ実現されることを明らかにする。
10月7日(土)、ハマスが仕掛けた電撃的な攻撃は、全世界に衝撃を走らせた。西側諸国の政府は即座に大きな非難の大合唱で応じた。
メディアはこの攻撃を即座に最も悲惨な言葉で描き出した。西側の世論は、いつものように「善の勢力」と「悪の勢力」の対立として描かれるこの紛争で一方の側につくよう、滑稽にも「自由な報道」と呼ばれるものによって徹底的に仕立て上げられていた。
この不気味な喜劇においては、役割が都合よく逆転する。被害者が加害者にされ、加害者が被害者にされるのだ。この虚偽は、暴力・殺戮・その他あらゆる忌まわしいテロ行為を道徳的に糾弾する絶え間ない宣伝によって補強されている。
ニューヨーク・タイムズによれば、ワシントンではバイデン大統領が「激しい怒り」をあらわにし、ハマスの攻撃を「純粋で混じり気のない悪」と断じ、テロに対抗するイスラエルと共に立つことを明言した。
世界で最も豊かで最強の国家の大統領は、米国がイスラエルに追加の装備・資源・弾薬を迅速に供給し、さらに最新鋭の空母と空母打撃群全体を東地中海に派遣することを、間髪を入れずに発表した。
帝国主義者の偽善、及び道徳の二重基準について
殺人は、男女を問わず、多くの人々に本能的な嫌悪感を呼び起こすものである。我々はここから常に聖書の戒め――「汝、殺すなかれ」を思い起こさせられる。
一見すると、この戒めは絶対的な性格を持つように見える。しかし、よく観察すると、支配階級やメディアの暴力や殺人に対する嫌悪は決して絶対的ではなく、完全に相対的な内容しか持たない事が明らかになる。
普通の人々がニュースで見た残虐行為に対して恐怖や憤りを表すのは、ごく自然な人間的反応であり、私たちも理解し共感出来るものである。
しかし、同じ言葉が手を無数の罪なき人々の血で染めたアメリカ大統領の口から語られるとき、私たちはただ肩をすくめ、嫌悪感とともに目を背けるしかない。
暴力に驚いたふりをする帝国主義の悪党どもは、これまで何度も凶悪な侵略戦争を仕掛けてきた。彼らはイラクやアフガニスタンに対して20年にも及ぶ血なまぐさい戦争をためらうことなく行い、数十万の民間人を殺害した。彼らはリビア、シリア、スーダン、セルビアを爆撃し、罪のない民間人をまったく顧みなかった。

しかし、同じ言葉が手を無数の罪なき人々の血で染めたアメリカ大統領の口から語られるとき、私たちはただ肩をすくめ、嫌悪感とともに目を背けるしかない。
暴力に驚いたふりをする帝国主義の悪党どもは、これまで何度も凶悪な侵略戦争を仕掛けてきた。彼らはイラクやアフガニスタンに対して20年にも及ぶ血なまぐさい戦争をためらうことなく行い、数十万の民間人を殺害した。彼らはリビア、シリア、スーダン、セルビアを爆撃し、罪のない民間人をまったく顧みなかった。
近年で最も凄惨な例は、地球上でも最貧国のひとつであるイエメン人民に対する野蛮な戦争であった。この戦争はサウジアラビアによって遂行され、アメリカ、イギリス、その他の帝国主義諸国が全面的に支援し、共謀し、積極的に参加した。
もしどんな戦争でも「ジェノサイド的」と呼ばれるべきものがあるとすれば、それは間違いなくイエメン内戦である。国連によれば、イエメンでは15万人以上が殺され、さらに22万7千人以上が、サウジとその同盟国によって意図的に引き起こされた恐るべき飢饉によって死亡したと推定されている。彼らはイエメンの病院や医療施設の破壊も行ってきた。
ガザとウクライナ――「自衛権」の相対性について
イスラエルのいわゆる「自衛権」に関しても、西側帝国主義の二重基準が再び露わになっている。ウクライナについては「占領下にある人民には抵抗する権利がある」との口実のもと、ロシアと戦わせるために徹底的に武装させた。

だがパレスチナ人に関しては、この権利は完全に消え失せる。被抑圧者を守る代わりに、帝国主義者は抑圧者に武器と資金を供与するのだ。自決権がすべての人民に等しく適用されるわけではないのは明らかである!
ちなみに、帝国主義の歪んだ論理に従って、ウクライナのゼレンスキー大統領はロシアによる自国侵攻をハマスと比較し、イスラエルの「自衛権」を擁護する大合唱にそのかすれた声を加えた。彼の反動的性格を示す証拠はこれ以上必要であろうか?
予想どおり、ゼレンスキーは「ロシアは中東で戦争を引き起こし、世界の団結を損ない、新たな苦痛と苦しみを生み出し、それによってヨーロッパ諸国の自由を破壊しようとしている」と非難した。イスラエルとハマスの戦争がキーウへの支持をそらすことを恐れての発言である。
ゼレンスキーは絶望的な立場にあり、戦場で壊滅的な敗北を喫し、米国やスロバキア、ポーランドなど同盟国の支持にも揺らぎが見え始めている中で、武器と資金の流入を確保できると思えば、あらゆる手段に訴えるのだ。
復讐
道徳に相対性理論を適用してしまえば、「自分たち側」が行う限り殺人を正当化するのは容易なことになる。この都合のよい道徳的相対性が、まさに今、目の前で展開されている。
10月7日のハマス攻撃に対するイスラエルの反応は迅速かつ残忍だった。ベンヤミン・ネタニヤフは「イスラエルは戦争状態にある」と宣言し、ガザを「無人にしてやる」と誓った。
戦闘機は占領地のガザ地区を激しく空爆し、住宅街の高層ビルを瓦礫に変え、学校、病院、モスクを無差別に攻撃した。
パレスチナ難民のための国連機関が運営する学校(「戦闘員」は存在しなかった)も直撃を受けた。多くの集合住宅も予告なく攻撃対象となった。
イスラエルは爆撃を続け、建物の一部を完全に瓦礫へと変えた。ガザ当局によれば、病院や学校が攻撃され、すでにパレスチナ人900人が殺害され、そのうち260人が子どもだった。
これらは自衛とはまったく無関係であり、復讐心に突き動かされたものにすぎない。イスラエル国家がガザの指導者の行為を理由に民間人を意図的に標的とし、ガザ住民全体を罰しようとしているのは、これが初めてではない。
イスラエルのヨアヴ・ガラント国防相は「ガザ地区を完全封鎖する」と命じた――「ガザ地区を完全封鎖するよう命じた。電気も食料も燃料もない、すべてを閉ざす」と。
男女や子どもから食料、水、電気を奪うことは「国際法」上の犯罪とされているはずだ。国連ですら、この小さな事実をイスラエルに思い出させる必要があると考えたが、その丁寧な注意喚起の結果は予想通り皆無だった。
「人間という動物」
では、彼らはこれをどう正当化するのか?答えは単純だ。
イスラエルのヨアヴ・ガラント国防相は率直にこう述べた――「我々は人間という動物と戦っており、それに応じて行動している」と。
この言葉は私たちはよく知っている。敵を非人間化して虐殺を正当化するのは帝国主義者の常套手段である。敵を自分たちと同じ人間ではなく、ただの動物と見なせば、どんな扱いをしてもよいと感じるようになるのだ。
忘れてはならないのは、何十年もの間、ユダヤ人自身が人間ではなく「亜人」として扱われてきたという事実だ。彼らは殴られ、拷問され、飢えさせられ、殺されてもかまわない存在とされた。「どうせ動物なのだから」「人間の動物にすぎないのだから」。違いは言葉の上の問題にすぎない。
だが、ガザ地区の住民は動物ではない。彼らは人間であり、イスラエルの住民と同じ人間である。そして、すべての人間は同じように扱われる権利を持っているのだ。
偽善者たちの大合唱

まるで綿密に計画された合唱のように、世界中の政治指導者たちはこぞって「イスラエルの自衛権」を無条件に支持すると慌てて表明している。右派も「左派」も、共和党も民主党も――すべてが同じ古びた歌集から大声で唱和している。
イスラエルがガザのパレスチナ人を虐殺するのを帝国主義陣営全体が、後押ししている。そして爆弾、大砲、ミサイルで十分な数のパレスチナ人を殺しきれない場合には、ヨーロッパ連合が餓死によってさらに少数を「削減」する計画まで立てていた。
EUはパレスチナ人が生存を大きく依存している財政支援を停止すると発表した。この決定はあまりに醜悪だったため、その後撤回されることになった。ここに、いわゆる「西洋文明」の本質がわずか数行に凝縮されている。
イギリスのキア・スターマー卿のような右派「労働党」指導者が、この偽善的な大合唱に即座に声を合わせたことは驚くべきことではない。彼らはとっくの昔に魂を悪魔に売り渡しており、帝国主義の手先以外の何者でもない。
だが、右派改良主義者だけが罪人ではない。恥ずべきことに、多くの「左派」改良主義者たちも非難の合唱に加わった(バーニー・サンダース、イルハン・オマル、AOC、フランス「共産」党など)。
こうしたいわゆる「左派」が、完全な臆病さと無原則ぶりを示すのはこれが初めてではない。彼らは資本主義大衆メディアやブルジョア世論の圧力に即座に屈服し、結局は支配階級の路線に従ってしまうのだ。
革命的共産主義インターナショナルは、帝国主義者とその追随者によるこの偽善的な大合唱に加わることは決してない。
我々はどこに立つべきか?
あらゆる戦争において、交戦当事者は常に残虐行為の話 (それが事実であれ捏造であれ) を利用し、自らの暴力や殺戮を正当化してきた。共産主義者の戦争に対する態度は、こうした扇情的なプロパガンダに基づいてはならない、「どちらが先に攻撃したか」という問題に基づいてもならない。我々の立場は、まったく別の根拠に立脚すべきである。
我々の立場は極めて単純だ。
あらゆる闘争において、我々は常に貧しく虐げられた人々の側に立ち、決して富める抑圧者の側には立たない。
今回の場合、問うべきは「誰が抑圧者で、誰が被抑圧者か」ということだ。パレスチナ人がイスラエル人を抑圧しているのか? 正気な人間ならそんなことを信じはしない。

土地を不法に占領し、武力で支配しているのはパレスチナ人ではない。世代を超えて暮らしてきた土地からイスラエル入植者を追い出しているのはパレスチナ人ではない、その逆だ。
イスラエル市民から最も基本的な権利を奪い、残虐な封鎖を加え、彼らを自らの土地における「部外者」にしているのはパレスチナ人ではない。
イスラエル国家がパレスチナ人に対して犯してきた数々の罪を、ここで逐一列挙する必要があるだろうか? それらの犯罪は日々、月々、年々、絶え間なく続き、パレスチナ人の生活を生き地獄へと変えてきたのだ。
パレスチナ人は、ほとんど奴隷と変わらぬ地位へと貶められている。そして奴隷は、あらゆる権利を奪われたとき、ただ一つ残された権利「反乱の権利」 に訴えるしかない。
歴史を通じて奴隷反乱は、極端な暴力を伴うことが多かった。それは、彼ら自身が奴隷主から受けてきた極端な抑圧の反映にすぎない。
これは遺憾な事実ではある。しかしそれは、奴隷が奴隷主に対して反乱することを擁護する我々の義務を免除するものではない。マルクスは1857年の論文の中で、イギリスの新聞がインド大反乱におけるセポイの残虐行為を強調した記事に応答し、この問題を扱っている。
「インドで反乱を起こしたセポイによる残虐行為は確かに恐ろしく、忌まわしく、言語に絶し ―― 反乱戦争、民族戦争、人種戦争、そして何より宗教戦争においてのみ遭遇するようなものである。しかしながら、セポイの行為がどれほど悪名高いものであっても、それは濃縮された形でのイギリス自身の行為の反映にすぎない。…歴史には報復というものがある。その報復の道具は、被害者ではなく加害者自身によって鍛えられるのである。」
(マルクス『インドの反乱』)
我々はハマスを支持するのか?
敵は言うだろう。「それなら君たちはハマスを支持しているのか」と。我々は答える。我々は決してハマスを支持してはいない。そのイデオロギーを共有しておらず、その手法を是認してもいない。
我々は共産主義者であり、独自の思想・綱領・方法をもっている。それは常に富める者と貧しい者、抑圧者と被抑圧者の階級闘争に基づいている。これこそが、あらゆる場合における我々の立場を決定するのである。
ハマスとの相違は根本的ではあるものの、我々とアメリカ帝国主義( 地球上で最も反動的な勢力)及び犯罪の共犯者であるイスラエル支配階級との相違ほど根本的ではない。
批判者は問うだろう。「多くの罪のない市民の殺害に賛成するのか?」 我々は答える。我々はそのようなことを唱えたことはないし、是認することもない。
我々の第一の任務は、スピノザを引用すれば、「泣くことでも笑うことでもなく、理解すること」である。道徳的な考慮だけでは何も説明できない。理解するためには、問いを別の形で立てなければならない。「ハマスの攻撃を引き起こしたのは何か?」と。
それを、数十年にわたるイスラエル国家によるパレスチナの占領と暴力、抑圧から切り離して考えることができるだろうか?
不可能だ。
イスラエルは強力で裕福な国家であり、何十年もの間、暴力と経済力を組み合わせてパレスチナ人を奪い、抑圧してきた。
現在の事態に至った経緯を見なければならない。それは晴天の霹靂のように降って湧いたのではなく、一連の事件の積み重ねの結果である。
裏切り
帝国主義者たちはパレスチナ人に「もう少し待てば正義がもたらされる」と約束した。だが彼らは待ち続けた。その結果は祖国のさらなる破壊と権利のさらなる剥奪だった。
被抑圧者の忍耐が尽きたとき、彼らはいずれ抑圧者に牙をむく。その瞬間、過剰性や残虐行為が不可避的に行われる。それはもちろん遺憾である。しかし、本当に責任を負うべきは誰か?
もしある人間が冷血に殺人を犯したなら、それは犯罪であり、処罰されるべきだ。
しかし、ある女性が長年夫から残虐な虐待を受け続け、ある日ついに彼を殺害したとしたら、大多数の人はその行為に至った事情を考慮すべきだと言うだろう。
この論理を現状に当てはめよう。爆発的な事態の直前まで、ユダヤ教過激派によって絶え間ない挑発が繰り返されていた。彼らはイスラム世界で最も神聖な場所の一つ、アル=アクサ・モスクの境内を襲撃した。しかも警察と軍隊に守られてのことであって。
挑発
ネタニヤフはシオニスト極右と同盟を結んでおり、その中には公然とファシストを名乗る者もいる。彼らの掲げる目標は、新たなナクバ、つまりパレスチナ人を現に暮らす土地から物理的に追放することであり、その出発点はエルサレムとヨルダン川西岸に置かれている。

この政策は新しいものではないが、ここ数か月で一層エスカレートしている。入植者たちは主に米国から移住してきたユダヤ教原理主義者の過激派であり、ヨルダン川西岸に入植地を築いている。
それらの入植地は軍事的に防衛された道路網で結ばれ、形式上パレスチナ自治の管理下にある領域を分断している。
反動的入植者たちは、超国家主義的なイスラエル政府に守られているため、ますますその数を増やしている。
武装した宗教狂信者の入植者ギャングは、イスラエル軍や警察の公然または隠然たる支援を受けながら、パレスチナ人に対するポグロム(虐殺や襲撃)を行ってきた。これらの土地強奪は「国際法」の下では違法とされているはずだ。しかし、国連で無意味な儀式のように繰り返し採択されてきた敬虔ぶった決議では、このような犯罪行為を止めるうえで何の役にも立たなかった。
こうした状況の下で、パレスチナ人が抵抗していることに驚く者などいるだろうか。被抑圧民族には抵抗する権利がある。
偽善者たちは「双方が暴力を使ったのだから、責任は双方にある」と言うだろう。形式的には正しいかもしれないが、実質的にはまったくの誤りである。一方の暴力を他方の暴力と同列に扱うことは不可能だ。両者の間には絶対的に比較出来ないな差が存在するのである。
一方には、核兵器、強力なミサイルを搭載した戦闘機、先端技術や監視機器を備え、世界最強の帝国主義国家から全面的な物質的・財政的支援を受けている先進資本主義国家がある。
他方には、手に入る限りの武器で戦うしかない抑圧されたパレスチナ人がいる。
最近の出来事に驚くことこそ、実に愚かしい。状況を考えれば、何らかの爆発的事態が起こるのは必然であり、その時期や具体的な形だけが予測不能だったにすぎない。――イスラエルの諜報機関ですらそう考えていた。
イスラエルの屈辱
戦争はそれ自身の条件で考えなければならず、外部からの余計な観念を考慮してはならない。イスラエル支配階級の怒りを引き起こしているのは、失われた人命の数そのものではない。彼らの関心は純粋に実務的な性質のものだ。
軍事的観点から見ると、攻撃は成功だった。予期せぬ電撃戦は、もてはやされていたイスラエルの情報機関の不意を突いた。武装したコマンド部隊が防衛線を突破し、要塞のように思われていた線を破ってイスラエル軍に大きな損害を与えたのだ。
これが明らかになると、当局によって「無敵の防御線に守られている」と安心させられていたイスラエル国内にパニックと恐怖の波が広がった。一夜にして人々の「無敵神話」への信頼は粉々に砕けた。この事実は未来に計り知れない影響を及ぼすだろう。

対照的に、多くのアラブ首都の街頭ではこの攻撃が祝われた。巨大なイスラエル国家がついに屈辱的な敗北を喫したことに大衆は奮い立ったのだ。イスラエルにとって、この事実に比べれば他の考慮事項はすべて二次的なものに見えた。
ネタニヤフは、自国を無尽蔵のドルと致命的な兵器で支援する米帝国主義の確固たる後ろ盾を持っているため、非常に自信を深めている。
米国は大使館をエルサレムに移転した――これはすべてのパレスチナ人に対する侮辱である。トランプ大統領がその挑発的決定を下したが、バイデン大統領はそれを覆していない。彼は来年の選挙でユダヤ人票を確保するとともに、地域
でのわずかに残された揺るぎない同盟国のひとつを維持したいと考えているのだ。
平和か、暴力か
敵はしばしば我々にこう問いかける――君たちは暴力を容認するのか? これは中身のない問いに等しい。黒死病を支持するのか尋ねるのと同じくらい無意味な質問だ。
自明の問いは自ずと答えを持つが、単に否定するだけでは何の役にも立たない。暴力が用いられる具体的状況「何のために、誰の利益のために使われるのか」を説明しなければならない。そうした情報がなければ正確な答えはほとんど不可能である。これは今日まで行われてきたすべての紛争に当てはまる。
多くの「左派」は(いつものことだが)暴力を一般論として非難し、「交渉」による「平和的解決」や「国際機関」の介入を求めるにとどまる。しかしそれは偽りであり欺瞞である。
75年間、果てしない交渉と話し合いが繰り返されてきたが、それでパレスチナの自由が1ミリでも進んだわけではない。何十年ものあいだ、いわゆる国連は1967年の
パレスチナ占領を非難する決議を出してきたが、何も変わらなかった。実際、状況ははるかに悪化している。
現在の紛争の激化は、実際にはオスロ合意の完全な失敗の結果である。資本主義的基盤のもとでイスラエルの隣に小さなパレスチナ国家を設立するという考えは、我々が当時警告したとおり、破綻することが運命づけられていた。
イスラエルの狙いは、パレスチナの治安維持を、完全に士気を失いパレスチナ民族解放闘争を前進させる能力を有しないファタハのブルジョア的民族主義者が率いるパレスチナ自治政府に「委託」することであった。
過去30年、米帝国主義とイスラエル資本主義がパレスチナ人に押しつけた二国家解決の惨めな失敗を露呈したにすぎない。
最近の世論調査で61%のパレスチナ人がオスロ以前よりも
状況が悪化したと答え、71%が合意に署名したのは誤りだったと答えたのも驚くべきことではない。
それにもかかわらず、絶望的な左派の平和主義者たちはパレスチナ人は平和的手段だけで闘うべきだと主張する。しかし彼らが実際に平和的手段を試みたとき、結果はどうだったか?
2018年の「帰還の行進」は武装していない民間人によって行われたが、イスラエル軍は実弾を使用し、数百人を殺害し、1万人以上を負傷させた。その中には子どもや女性、ジャーナリストや医療従事者も含まれていた。
まさにこの事実が、パレスチナ人に「暴力には暴力で応じる」以外に道はないという確信を抱かせたのである。我々はこのことを遺憾に思うかもしれないが、パレスチナ人が導き出すであろう唯一の結論はこれ以外にあり得ない。これは100%、イスラエル国家とその帝国主義諸国の後ろ盾に責任がある。
同じ世論調査によれば、入植地拡大のために71%が二国家解決はもはや現実的でないと考え、52%が自治政府(PA)の解体を支持し、53%が行き詰まりを打破する唯一の方法は武装闘争だと考えている。
帝国主義の計画は瓦解した
10月7日の出来事の前には、いわゆる「正常化プロセス」が進行していた。つまり、イスラエルがアラブ諸国(特にサウジアラビア)と通常の外交・経済関係を築き、その結果「パレスチナ問題は終結した」と宣言されるというものだ。
これは9月の国連総会でネタニヤフが示した中東地図に象徴されていた。その地図には、イスラエルと「正常化」を進めている国々が示されていたが、そこにはゴラン高原・ガザ・ヨルダン川西岸までが「イスラエル」として含まれており、パレスチナは完全に地図から消されていたのだ。
この露骨な皮肉は、ネタニヤフとその反動的な一派だけでなく、いわゆる帝国主義的「民主主義国家」もまた、小国を自らの策謀における小銭のように扱っていることを示していた。
この怪物的分割は、パレスチナ人の頭越しに進められようとしていた。彼らの存在そのものは「厄介な障害物」と見なされ、その不満は無視され、彼らを押さえつける「不快だが必要な役割」はイスラエル軍の軍靴に委ねられる――そういう理屈であった。
しかし現実は、いかなる「精緻な理論」も覆す力を持つ。今回の理論には致命的な穴があった。つまり、「パレスチナ人はあまりに萎縮し、完全に打ちひしがれて、現実的な抵抗などできないだろう」という想定だ。この想定は、10月7日の土曜日に木っ端みじんに打ち砕かれた。
複数の情報源はイランの関与を指摘している。テヘランは否定しているが、これは事実かもしれない。イスラエルの強固な防衛線を短時間で突破した作戦の緻密さは、ハマス単独の力とは考えにくい。
さらにイランには、この作戦の成功に大きな利害があった。ネタニヤフがサウジアラビアと緊密な関係を結ぼうとしていた計画は、この一撃で崩壊したのだ。リヤドの反動的な王族たちは、イスラエルと取引するためにパレスチナ人を売り渡す用意があった。しかしその計画は「アメリカの後押しもあったにもかかわらず」頓挫した。
ムハンマド・ビン・サルマーンは、イスラエルの「自衛権」支持の合唱に加わることを明確に拒否した。サウジ国民の熱烈なパレスチナ支持感情に逆らえば、王政そのものが危機にさらされるからだ。
ガーディアン紙は「ハマスの攻撃が中東外交の構図を一変させた」と題する記事を掲載した。外交編集長パトリック・ウィントゥールはこう書いている。

「イランはサウジがイスラエルと取引することを不可能にしたいと考えており、地域の他の国々もガザでの大混乱を抱え込む余裕はない」
まさにその通りだ。アラブ諸国の支配層は、自国の大衆に与える動揺の影響を恐れている。アラブの春の記憶はまだ生々しく、街頭蜂起の脅威は常に意識されている。
これはアラブの支配層にとってもワシントンにとっても悪夢だ。しかしパレスチナ問題の持続的解決の唯一の希望は、新たなアラブ革命の到来にある。
被抑圧の民であるパレスチナ人は、外国政府の約束を決して信用してはならない。彼らの「支援の言葉」は、抑圧者に偽りの連帯イメージを作るための空虚な演技にすぎない。
言うまでもなく、帝国主義者の約束は完全に無価値であり、国連が毎度儀式のように可決する「決議」もまた虚構でしかない。
パレスチナ人民が自由を勝ち取ることができるのは、彼ら自身の闘争を通じてのみである。そして彼らが頼ることができる唯一の確実な同盟者は、同じように抑圧され搾取されている地域内外の労働者・農民たちなのである。
イスラエルは危険な道を進んでいる
無視できないもう一つの要素がある。イスラエル国家がユダヤ人住民の多数の支持を当てにできる限り、その打倒は非常に困難だろう。国家を階級意識によって分断することだけが、その実行可能な方策となり得る。
しかし現状では、それは起こりにくい見通しに思える。部分的には、ハマスのイデオロギーと手法が極端に限定的であり、多くのイスラエル市民にパレスチナの「テロリスト」によって自分たちの生活が脅かされていると確信させていることが理由である。
残念ながら、最近の襲撃と市民の殺害は、多くのイスラエル人に政府へ結集する以外に解決策はないと納得させてしまった。いわゆる野党の醜悪な振る舞いがこれを助長した――彼らは反動的なネタニヤフ政権の政策に対する異議を即座に取り下げ、いわゆる「国家統一政府」への参加を急いで申し出た。これは破滅的な行動である。
イスラエル国民は自問すべきだ:これほど多くの年の紛争、これほど多くの戦争、これほど多くの軍事的勝利を経たにもかかわらず、なぜ今や建国以来これまでで最も不安定な状況にあると感じるのか? 彼らの安全を保証すると謳われたあらゆる周到な措置は、真実の瞬間には何の役にも立たなかったのだ。
確かに、イスラエルは巨大な軍事力と圧倒的な火力を有しており、軍事的にはハマスを容易に打ち負かすことができるかもしれない。しかし、狭い路地と無数のトンネルを抱え、敵意と憤怒に満ちた住民を抱えるガザへの地上侵攻は、双方に深刻な犠牲を伴わずには成し得ない。そしてガザが瓦礫の山と化したあと、どうするのか? 230万人に及ぶ敵対的な住民を長期にわたって占領・抑圧し続けるだけの兵力はない。遅かれ早かれ、新たな爆発と流血が再発することになるだろう。
事態はそれだけにとどまらない。パレスチナ人への抑圧は中東全域の感情を煽り立てる。サウジアラビアとの関係強化の試みは今や灰燼に帰した。イスラエルはかつてないほど孤立を深めている。四方を数百万の敵に囲まれ、イスラエルの見通しはきわめて暗い。最近の流血は、イスラエル自体が根本的に変わらない限り、さらにひどい事態が訪れうるという重大な警告である。
マルクスは古くから指摘している「一つの国が他の国を抑圧し服従させているかぎり、その国に真の自由はあり得ないと。」
「ロンドン中央委員会の特別な任務は、英労働者に、アイルランドの民族的解放が彼らにとって抽象的な正義や人道的感情の問題ではなく、むしろ彼ら自身の社会的解放の第一条件であることを理解させることである。」(マルクス、1870年)
現在、イスラエルでは理性の声が反革命の貪欲な咆哮によって封殺されつつある。しかしネタニヤフと超宗教的熱狂者たちという反動勢力と結合することを主張する者たちは、イスラエルを直接的に奈落の底へと追いやっている。
どうするべきなのか?
長年にわたり、パレスチナの大衆は何度もその無私、勇気、闘志を示してきた。問題は、彼らがその任務に相応しい指導部を持っていなかったことである。
何十年もの裏切りと約束破りのあと、パレスチナ人の忍耐は尽きた。強大なイスラエル国家と闘いたいと願う闘志あるパレスチナの若者にとって、ハマスのロケットは一種の答えを与えるものに見える。最近の出来事はこの信念に強烈な追い風を与えた。
ハマスが、侵すことができないとされたイスラエルの防御を突破し、打撃を与えたという成功は、中東や近隣諸国の多くにとって屈辱を与えられたイスラエルを見たかった人々に勝利と見なされたことは疑いない。短期的には、これがハマスの威信を格段に高めるだろう。しかし長期的には、ハマスの成功の限界があらわになるのも時間の問題である。軍事的な力の均衡は圧倒的にイスラエルに有利だ。

闘志ある若者たちは、前進の道は交渉ではなく革命的闘争にあると結論づけている。それは大衆行動、大規模ストライキ、そして最終的にはイスラエル国家に対する武装した自衛と武装闘争を意味するだろう。
しかし、釣り合いを失ってはならない。パレスチナ大衆の革命的闘争も、それが孤立している限り、イスラエル国家の力を打ち破るには不十分である。
それには中東全域にわたる大衆的革命運動の結合された努力が必要だ。しかし大きな障害が立ちはだかる:反動的なブルジョア的アラブ政権は口先ではパレスチナを支持するが、いざというときはいつでもパレスチナを裏切り、帝国主義と取引を結ぶ準備がある。
これら腐敗した政権を打倒してこそ、中東における社会主義革命の勝利への道が開かれる――それこそがパレスチナ解放の前提条件である。
究極的には、パレスチナの民衆とイスラエル社会の労働者・進歩的な層との統一戦線の成立のみが、イスラエル国家を階級的な軸で分断する可能性を生み、パレスチナ問題の永続的かつ民主的な解決へと導くだろう。
これはアラブ革命の副産物に過ぎないであろう。アラブ革命は徹底されて初めて成功するのである。腐敗した政権の打倒は解決の半分にすぎない。人民の真の解放は、地主・銀行家・資本家の収奪財産没収を通じてのみ達成されうるのである。
社会主義革命こそが唯一の解決策だ!
中東は長年にわたり、その膨大な潜在力、天然資源、そして未開発の余剰労働力や教育を受けた若者の巨大な可能性を抱えながらも、分断されてきた――それは地域を小国家に分割し、容易に支配・搾取できるようにした植民地主義の遺産である。
この毒のような遺産は、終わることのない戦争や民族・宗教の憎悪、その他の破壊的要因を生み続けてきた。パレスチナ問題はその中でも最も明白で凶暴な表れにすぎない。
労働者にとって、外国領土を征服したり他者を従属させたりすることに利益は存在しない。権力が労働者人民の手に渡れば、中東とその周辺地域が抱える諸問題は平和的に、民主的に、合意の上で解決できるだろう。
民主的な社会主義連邦の下では、諸民族間の友好的関係――アラブとユダヤ、スンニとシーア、クルド人とアルメニア人、ドゥルーズ派とコプト派――を確立することが可能になる。こうして初めて、パレスチナ問題の永続的で民主的な解決への道が開かれる。
自律的で実行可能かつ繁栄しうるパレスチナ国家を、アラブ人とユダヤ人双方に完全な自治を与える形で創設するのに十分な土地は存在する。それは十月革命後にボルシェビキが設立したソビエト共和国群のあり方に倣うことも可能である。
狭量な人々はこれをユートピアだと言うだろう。しかし同じ人々は常に社会主義もユートピアだと主張してきた。自称「現実主義者」たちは、ただ現に存在するからというだけの理由で現状に固執し、それこそが唯一の可能な現実だと頑固に信じている。
この破綻した「理論」によれば、革命は不可能だということになる。しかし存在するものはすべて滅びるに値する。歴史は革命が可能であるばかりか必然であることを示している。資本主義体制は根底から腐敗しており、その基盤は崩れかけ、崩壊に瀕している。
必要なのは、それに強い一押しを与えることだ。そしてその一押しがアラブ世界での新たな蜂起から来る可能性は十分にある。これが中東の民衆にとって唯一の前進の道である。パレスチナには今二つの道がある、敗北を喫するか、社会主義革命の一部として勝利を収めるかだ!
ロンドン、2023年10月11日
